「当たり前」に
疑問を持とう
ボンソワール。マーシーです。
おっさん達って「小学校の帰りの会」みたいなの好きですよね。
典型的な日本人の特徴を挙げてみよう
✔「集団」が好き
✔「他人と同じ」じゃないと不安
✔「自分を表現する」ことが苦手
ざっと、こんな感じじゃないでしょうか。
こうした特徴を持った人同士が集まる「コミュニティ」が日本には無数にあり、異質なものを極端に嫌う傾向があります。だから、日本人って「自己中」とか「空気を読めない人」なんかが大っ嫌いなんですよね。
こうした特徴は小学校で形成される
では、こうした日本人の気質はどこで形成されるのでしょうか。まさか自然発生するわけないのです、これはもう「環境」でしょう。
それで、こうした気質が形成される「環境」と言えば、小学校の帰りの会だと思うのです。
「集団」→帰りの会は必ず集団で行う。
「他人と同じ」→同じように挨拶して同じようなカバンを机に並べる。そして「皆が参加しているから参加しなければならない」という強制力がある。
「自分を表現出来ない」→決められた手順で粛々と進めなければならず、そこに自分の意見を言う機会などない。
ざっと、こんな感じでしょうか。
こうした「儀式」が5〜6歳という年齢から6年間続くわけです。そりゃあ、人間形成に大きく影響を与えますよね。
「小学校の帰りの会」から進化しない日本人
幼少期に刷り込まれた「日本人的な気質」が大人になっても根深く残る理由は、小学生以降の社会でも「小学校の帰りの会」を基盤とした組織運営がされているからに他なりません。
なぜ、「小学校の帰りの会」がここまで重用されるのでしょうか。私の考える理由は3つです。
①昔からやっているから、誰も「小学校の帰りの会」に何の疑問も持たない
②小学校以降においても、先生がクラスや部活のメンバーをまとめ上げるのに「小学校の帰りの会」は有用だから
③そもそも古い時代の先人が「小学校の帰りの会」を強要してくる
特に、③は厄介です。「年上の圧力」が若い世代に「小学校の帰りの会」を押し付けています。そして、古い世代の人たちはそのことを悪い事だと思っていないのです。
だから、日本人はいつまで立っても「小学校の帰りの会」から進化できません。
いかがだったでしょうか。
「日本人は、個々の能力が高いのに、集団になると一気に弱体化する」
こう言われる原因は、小学校の帰りの会にあり、それを強要する者たちがいるからに他ならないのです。