第二次世界大戦時の日米両国における飛行機の設計思想の違い

 

実は真逆の思想を持っていたんです。

そして、意外にも非人道的(ドライな思想)だったのは、我が日本でした。

先の大戦時、日本の空の象徴だったのが、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)です。

ゼロ戦は、一体どのような思想の元、開発・設計されたのでしょうか。

 

究極の運動性能を目指して

ゼロ戦は、最高速度や最高航続距離といった運動性能を重視し、防御力を徹底的に排除した機体です。

防弾装備は一切無いので、機銃が一発でも命中すれば墜落するような飛行機でした。

圧倒的な運動性能で敵機を制圧し、制空権を握る。それが当時の大本営が抱いていた思想でした。

 

防御力削減の背景

ゼロ戦製造にあたって、三菱重工の技術者と海軍で設計会議が行われました。海軍側が提示した飛行機の基本性能値(航続距離や速度)はどれも当時の世界水準を大きく上回るもので、すべての数字を達成する飛行機の製造は困難を極めるものでした。

そこで、三菱重工側は基本性能の優先順位を尋ねるわけですが、海軍側の解答は「全部必要」の一点張り。三菱側が仕方なく装甲を薄くし、骨組みに穴を開けることで機体の徹底的な軽量化を図り、海軍側の要望に応えようとします。

これが後にゼロ戦の決定的な弱点を生むことになるわけです。

 

急降下速度の低下

装甲が薄くし、骨組みに大量の穴を開けたため、急降下時に速度を上げすぎると空中分解してしまいます。そのため、急降下時の速度は遅くせざるを得ませんでしたが、これは、大きな欠点でした。

戦闘機は空中戦で不利になると急降下で離脱する必要があるからです。つまり、ゼロ戦は空中戦で不利になると逃げる術が無いのです。

加えて、防御力を極限まで削っているため、機銃一発で簡単に墜落します。

 

設計者や現場の声は無視された

この欠点に速い段階から気づいていたのが、三菱重工の技術者達でした。彼らは急降下の弱点を改善するため、運動性能値の再考を求めますが、海軍側は「装甲を数ミリ厚くする」といった軽微な改善で事を済ませます。

防弾については、現場から強い要望がありました。「あまりにも機体が脆弱すぎる」というのが主な理由です。「一発でも機銃が当たれば墜落」という状況は、パイロットにとってあまりにも厳しすぎるものでした。

しかし、こういった現場の声は、聞き入れられませんでした。現場の防弾性能を求める声は、「弱腰な意見」として、はねのけられたわけです。

その結果、熟練のパイロットは次々に戦死していきました。

 

アメリカの設計思想

人命優先でした。

”何が何でもパイロットを守る”という思想の元、徹底的に防弾性能を施していました。

飛行機を操るのはパイロットであるから、パイロット(特に熟練のパイロット)は絶対に守らなければいけませんし、生還したパイロットは次の戦闘に有益な情報を持っているからです。

アメリカの機体は、防弾性能を重視しながらも、圧倒的な工業力から運動性能も高いという代物でした。

また、アメリカ側はゼロ戦の欠点をよく理解していたため、このこともアメリカ側優位に働きました。

 

人を守る設計を

日本は敗戦国になりました。日米の工業力の差はもちろんのことですが、ある意味、飛行機の設計思想の差が大きな敗因になったのではないかと思います。

この歴史が証明したのは、「どんなものづくりでも、”人を守る”ということを基本的な思想として持って置かなければならない」ということでしょう。

技術者として、肝に銘じておきたいものです。

 

 

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